海と日傘

脚本:松田正隆
演出:高瀬久男
上演:あうるすぽっと製作
@あうるすぽっと (2007年11月)

出演:
平田満・竹下景子・鴨川てんし・山本道子・大竹周作・藤本喜久子・頼経明子



あらすじ

長崎のとある静かな町。

高校教師をしながら小説を書いている洋次は、妻の直子とふたりで暮らしている。
直子は病を患っており、ひどいときは外出すらドクターストップがかかってしまう。
ここのところは具合がよかったものの、急に体調を崩してしまい、余命わずかだと医師に宣告される。
そのことを分かっていながらも明るく振る舞う直子であったが、やがて息をひきとることになる。

夫婦の間にながれる時間を、隣人夫婦や担当編集者など周囲の人間との関係とともに、静かに淡々と描く。



評

死とは一体どんなものか。
悲しいものなのか、恐ろしいものなのか、つらいものなのか、寂しいものなのか、はたまた美しいものなのか。
人の死に対する問いが、美しい時間の中で描き出されています。

静かに過ぎゆく季節の中で、ひとりの女性が一歩ずつ確実に死へと歩んでゆく。
松田正隆は絶望的に描いたり、安っぽい感動をこめたりせず、淡々と描いています。
夏の昼下がりの海辺、晩夏の空、初秋の夕焼け、秋の夜長──静かな街に流れてゆく季節のうつろいにたたずむ直子が、美しい四季の中で自分自身の「死」と静かに向き合っていくように、観客もまた人間の「死」と静かに向き合ってゆくのです。

死ぬ直前に雨上がりの庭に立つ直子の姿は、まぶしい陽光にあふれてとても美しいものでした。
松田正隆は、限りなく美しく「死」を描いたのです。
しかし決してはそれは美談などではなく、夕日を浴びたさざ波がキラキラと輝くかのような儚い輝きとして描き出したのです。
それは「生」の輝き、「生」の美しさと同義ではないでしょうか。
美しい人生を歩んだ人間は、美しい死を迎えることができると信じています。
洋次とともに歩んできた直子の人生は決して派手ではなかったけれど、ささやかな幸せに満ちた、キラキラと輝くさざ波のような美しい人生でした。
そのような人が、絶望的な死を迎えるとは決して思えません。
「死」の美しさを静かに描くことで、「生」の美しさをあぶり出すかのごとく描いています。
死の美しさは生の美しさ──つまり死とは生でもある。
死ぬことは生きることと同義なのです。
何気ない日常的な会話の深淵から、うっすらと真意が滲み出てくる言葉の美しさに気づかされました。
言葉の美しさというものは、なにも三島由紀夫の多すぎる装飾や清水邦夫の退廃的な雰囲気のように作られた言葉ではなく、リアルな言葉からも見いだすことができるのだと思いました。
日本語の新たな可能性の一端を感じさせてくれたこの戯曲が、岸田戯曲賞を受賞したのも頷けます。

平田満は、若い学者テスマンの演技に感服した「ヘッダ・ガブラー」から13年ぶりの出会いです。
当時の演技にはもちろん舌を巻きましたが、13年経って確実な芝居には磨きがかかっていました。
自然な人間を自然に演じています。
前担当編集者である藤本喜久子との「ワケあり」感こそあまり感じられなかったものの、善良さが滲み出ていて洋次という役どころに合致していました。
対する竹下景子は、予想していたよりも好演していました。
必要以上に元気すぎる気がしていましたが、もしかしたら自分の死期が迫っているのを分かっているために明るく振る舞っていたのかもしれません。
死への不安を感じさせる台詞がいくつかあったのですが、できるだけ平静を装うというキャラクターなためか他の元気な台詞と紛れてしまっていたのが残念。
一瞬ドキッとさせるような言い方をしてほしかったです。
とは言ってみたものの、平田満とはいい夫婦を演じていたと思います。

最後に舞台について言及すると、ホリゾントライトの使い方が巧みでした。
高校演劇のイメージが強いホリゾントですが、プロの舞台で使用した例はほとんど観たことがありません。
季節ごとに移り変わる空の表情を、垣根の上からのぞかせていて美しかったです。
空の色だけでなく、雨上がりのまぶしい陽光もきれいに表現していました。
美術もまた、やや広すぎる感のある日本家屋がむしろ淡々とした日常を浮き上がらせていました。
淡々とした戯曲を決して地味な雰囲気に終始させずに、心に染み入るような美しさを持たせた、秀逸な作品でした。