贋作・罪と罰

脚本:野田秀樹
演出:野田秀樹
上演:野田地図 (初演:1995年)
@Bunkamuraシアターコクーン (2006年1月)

出演:
松たか子・古田新太・段田安則・宇梶剛士・美波・マギー・右近健一・小松和重・村岡希美・中村まこと・進藤健太郎・野田秀樹



あらすじ

理想のためなら、人を殺してもよいのか。
大多数が救われるためなら、たったひとつの命を軽んじてもよいのか。
この命題は人類が常に抱えてきた、永遠のテーゼ。
この問いに答えを出すべく、江戸の女塾生・三条英は金貸しの老婆を殺害する。

折りしも江戸には坂本竜馬が名を変えてひそんでいるという噂が広まる。
英の友人・才谷梅太郎その人である。
彼を竜馬と知る政界の黒幕・溜水石右衛門が英の妹と婚約をし、蒸発していた父が溜水の陰謀に利用される。
その中で、都司之助は、老婆殺しの犯人は英ではないかと疑い始める。
知らぬうちに追い詰められてゆく、英と才谷。

ところが英は、溜水と裏でつながっている都司之助に、竜馬を殺せば見逃してやると言われる。
竜馬である才谷を殺そうとするが、できない。
彼を愛しているから。
英の罪を知った才谷は、彼女に自首することをすすめる。その代わり、自分はなすべきことをするからと。
英は老婆殺しの罪を自白し、才谷は江戸城を無血開場して第十五代将軍・慶喜に大政奉還をさせることに成功する。

捕らえられた英が明治の到来による恩赦で釈放されたころ、才谷もとい坂本竜馬は暗殺される。
そして牢の外で待つ新しい時代へと、英はひとり歩いてゆく。



評

時代の転換に暴力は必要なのか。
長谷部浩が「野田秀樹論」で書いているように、この作品はテロリズムの劇です。
人類の歴史上、時代の転換には理想に裏打ちされた暴力(テロリズム)が使われてきました。
そればかりか現在では9.11同時多発テロ以降、テロリズムはますます盛んに唱えられています。
野田秀樹は、無血で時代を変えた大政奉還という歴史的素材に、あるひとつの殺人事件を重ね合わせることで「時代の転換に本当に暴力が必要なのか」という問いを逆説的に示しています。

タイトルからも分かるように、「あるひとつの殺人事件」とはドストエフスキーが『罪と罰』の中で書いた老婆殺しです。
主人公・三条英は「新たな時代の到来のためならば、非凡人は社会道徳を踏み越えてもよい」という信念のもとに、金貸しの老婆を殺します。
しかし彼女の理論は、金貸しの老婆だけでなくその場に居合わせた老婆の妹までも殺してしまうことが揺らぎ始めます。
結果として、都司之助に追いつめられた英は自首をします。

英と対照的なのが、友人である才谷梅太郎(坂本竜馬)。
彼は無血のまま日本を近代国家へと転換しようとして、実際に江戸城の無血開城に成功します。
一見すると英の理論はこれで打ち砕かれたかのように思われますが、幕切れに彼が暗殺されることで、英の理論の答えはふたたび曖昧なものに戻ってしまいます。
結局は、100余年前に起きた社会道徳への挑戦は、こんにちまで問題を照射するに至っています。

松たか子は「オイル」に引き続いて、周囲を見失ってしまう人物を熱演しています。
ただしそれは狂気や神がかることを意味するのではなく、高すぎる理想と戦ったがゆえに周囲を見失うことを意味します。
つまり「オイル」「ひばり」でみせた「熱さ」とは違って、つねに自分を客観視している「冷静」さがここにはあります。

単純な筋書きのようで複雑なこの作品は、『罪と罰』をコロンボ風のサスペンスに翻案したものです。
「理想のためなら、人を殺してもよいのか」という命題への答えを、幕末というモチーフを使って表現したアイディアには感心します。
幕末を題材にとった作品は数あれど、毛色の異なる「幕末劇」を作ったのではないでしょうか。