脚本:岸田理生
演出:栗田芳宏
上演:ホリプロ製作
@シアターアプル (1999年10月)
出演:
藤原竜也・松井誠・寺島しのぶ・田山涼成
![]()
大正時代。
民谷伊右衛門にはモラルという観念はない。
娼婦のお岩が彼の妻。
しかし結婚はしておらず、内縁の妻だ。
かつて二人は結ばれることをきつく反対され、伊右衛門はお岩の父を殺した。
そしてお岩も、そんな伊右衛門についてきた。
お岩の義理の妹・お袖と、伊右衛門の家に奉公していた直助も、彼らとともに上京する。
実は直助とお袖は、生き別れた実の兄妹である。
それを知りながらお袖を愛してしまった直助。
直助もまた、そのことを知ったお袖の父を殺したという過去がある。
そのことを知っている伊右衛門は、お袖にすべてを暴露してしまう。
お袖は自殺をする。
そして亡霊となったお袖に頼まれて、直助は伊右衛門を殺す。
伊右衛門が殺され、幻のように短かかった大正時代は終わる。
![]()
岸田理生は、次のように語っています。
大正時代は、本当はなかったのではないか。
明治と昭和という大きな時代にはさまれた、たった15年しかない大正という時代は、ひょっとしたら幻だったのかもしれない。
彼女はその言葉どおり、大正時代を美しく妖艶な幻として描き出しています。
直助に刺し殺されたときに伊右衛門が言い放つ「揺れろ、俺の大正」という言葉は、関東大震災を意味しています。
つまり伊右衛門が死んだことで、大正時代も終わりを告げるのです。
伊右衛門は、官能的な美しさすら感じさせる大正という時代を象徴していたのかもしれません。
そして大正時代というものは、美しく妖艶な幻の中に消えた、悲しい愛の物語だったのかもしれません。
われわれは大正時代に対して、しばしばアナーキーなイメージを抱きます。
「美しきものの伝説」でも触れたように、大正時代には社会主義や無政府主義などの思想が国外から輸入され、この時代は実際にアナーキーな時代でした。
伊右衛門を大正時代に登場させることで、さながら妖艶な幻のごとくインモラルの美しさが花開いていました。
藤原竜也は、官能そのものでした。
インモラルであることを愛しているかのような、恐ろしい官能の少年を濃密に表現しています。
恐怖の代名詞ともいえそうな藤原達也の伊右衛門のすべてを受け入れて、松井誠のお岩は微笑むばかり。
殺されたあとも、あれほど恐ろしい男に恨みなどひとつも感じていません。
ギラギラした激流のような伊右衛門の感情にたいして、お岩のゆったりと流れる大河のような感情が包み込む……このふたりの対比が絶妙のバランスでした。
お岩に松井誠を起用したのは正解でしょう。
伊右衛門を一途に想い続けるその姿は、男優なのに本当に愛らしいです。
あらすじを読めば分かるとおり、これは「大正四谷怪談」と題しているものの、決して鶴屋南北の「東海道四谷怪談」を翻案した戯曲ではありません。
筋書きは岸田理生のオリジナルが多く、「四谷怪談」から人物と設定だけを借りたようなものです。
岸田理生は寺山修司と切っても切り離せない関係なので、寺山のように解体された物語を書くのかと思っていましたが、その心配は杞憂に終わりました。
観客を酔わせるほどの美学は、まるで三島由紀夫のようです。
朝倉摂は強い印象を残す美術によって、岸田理生の美学を大胆に表現していました。
新聞紙を貼った巨大な破れ傘と、赤と黒の柱が強烈な印象を残す美術は、おそらく誰の目にも忘れられないものとなったでしょう。
実はこの作品を観る直接的なきっかけは、彼女の舞台美術でした。
たまたま公共図書館で朝倉摂のデザインした舞台美術の写真集を見つけ、最初に開いたページがこの「大正四谷怪談」だったのです。
巨大な破れ傘のイメージがどうしても鮮烈な印象を残し続けるため、市販のDVDを入手して観劇することにしました。
よく観察してみると、出番のない役者は退場せずに、赤と黒の柱の裏側に座っているだけだということに気づかされます。
実際の舞台の緊張感はものすごかったであろうことが容易に想像できます。
研ぎ澄まされた空気を、実際の観客の方々は感じていたことでしょう。