なぜか青春時代

脚本:清水邦夫
演出:蜷川幸雄
上演:パルコ製作
@PARCO劇場 (1987年7月)

出演:
夏木マリ・松本典子・津嘉山正種・深水三章・蜷川美穂・緋多景子・大門伍朗・不破万作・新井康弘・堀弘道・松重豊 ほか



あらすじ

東京の操車場横にたつビアホール「車庫」は、今日限りで閉店する。
そこへやってくる若い女。
名を、小林海。
彼女は15年前ここで仲間たちと約束していたのだ。ここで別れた日からちょうど15年後、つまり明日、再びこのビアホールで会うことを。
主人の浅井ふねは、その話をきいて明日一日だけ閉店を延期することにする。

次の日の夜、ビアホールに別れをつげるため、駅の関係者など常連客がやってくる。
仲間がくるかどうか話をしているうちに、しだいに15年前の夜の記憶が蘇ってくる。
15年前、学生運動をしていた若者たちは自警団に追われ、このビアホールに逃げ込んできた。
そしてかくまった。
若者たちのリーダー格が、小林海であったのだ。
結局のところ仲間はきた。しかしそれは楽しい再会ではなく、少し苦い再会となってしまった。

みな店を去ったあと。
15年前のあの日に詠んだホイットマンの詩について話をするうち、ふねは、かつて家を出て行った夫が海と付き合っていたことを知る。
折しも娘の竜子が、頻繁に夫と会っていることも分かる。
連れてくるといって家を出て行った竜子だったが、戻ってきたとき横にいたのは風。
頻繁に会っているというのは嘘だったのだ。
二人が支えにしてきた「青春」もまた、おぼろげな姿になって消えてしまう。

そして、誰もいないビアホールですべての「青春」に向かって乾杯をする。



評

この作品は、ノスタルジアの劇である。
まず最初に、そう断っておく必要があります。

全共闘だとか、安保闘争だとか、新左翼だとか、正直言ってわかりません。
かつて歴史を職業にすることを志していたため、言葉として、歴史的事象としては理解しています。
しかしながら「なぜ闘争しなければいけなかったのか」という当時の若者たちの思いは完全には理解できません。
当時の学生と今の学生ではバックグラウンドが違いすぎるため、どんなに歴史的事象として研究をしても、あの頃の学生の気持ちになりきることはできないのです。
清水邦夫の代表作のほとんどは「あの頃」を象徴しすぎて、演劇界の第一線ではあまり上演されなくなっています。
僕のようなバブル期に生まれた人間は、戯曲を読むことはできても、板に乗って「時代に生きる生き物」としての作品を把握することはできないのです

さきほど「この作品はノスタルジアの劇である」と書いたように、この戯曲はすべて「昔の懐古」によって成り立っています。
解説でも言及されていましたが、「あれは映画だったんだよ」という津嘉山正種の台詞がそれを物語っています。
作中に登場する人物のほとんどはかつて学生運動盛んな「激しい」時代を経験した者ばかりです。
15年後の平穏な時代から懐古する、「現実だったのにまるでフィクションのような」過去の手ざわりを的確に表現していると思います。
何気なく放たれたその台詞に潜むノスタルジーにはひどく共感できます。
「あの頃」を知らない世代でも、昔を懐古することはします。
たとえ懐古している時代が違ったとしても、青春時代を振り返ったときに胸にこみあげてくる感情はきっと同じものだと思います。
「あの頃」の意義、「あの頃」を振り返る意義を、僕は計り知ることはできません。
だけども、振り返ったときのノスタルジアだけは共有できたはずです。

しかし、今なにができるのか。
それが登場人物たちに課せられた問いでもあります。
15年前は学生運動に燃え上がっていた若者たちでしたが、今は平凡な社会人として暮らしています。
浅井ふね自身も、時代の波に勝てず、隠居生活を送ろうとしていた矢先のことでした。
登場人物の誰もが、過去の青春時代に対していつも「ほろ酔い」になっていて、どこか張り合いのない生活を送っています。
それは、かつて「あの頃」を経験した清水邦夫自身や蜷川幸雄のことでもあるし、客席に座っている観客のことでもあります。
未来を見据えなければいけないのに、過去の情熱がしがらみのようにまとわりつく。
そのようなもどかしさに誰もが苦しめられ、夜明けを迎えたビアホールのように、ぽっかりと穴が空いているのです。

その「もどかしさ」の中で夏木マリは、とても好演していました。
現在の彼女からはとても想像できないほど舞台映えする容姿。
凛としていて、しなやかさもあって、ハンサムで、まさに清水邦夫の戯曲に登場するような女性でした。
対する松本典子の「受け」の演技も柔軟で素晴らしかったです。
多くのレビューサイトで言及されているのであまり多くは書きませんが、夏木マリの投げる直球を独特のフォームで受け取り、変化球で返しています。
蜷川美穂が力量の面でもう一歩というところでしたが、津嘉山正種や大門伍郎の存在感が作品全体の中でアクセントとなっていて、面白いキャスティングでした。

清水邦夫は、その独特の文体で青春時代を懐古する気持ちを、余韻たっぷりに描いています。
湿っぽいけれど退廃的な美しさをもった文体は、観客を酔わせる力があります。
そしてロマンシズムあふれる言葉に花を添えていたのが、ノスタルジックな美術です。
まるでウィスキーの氷がカランと音を立てるかのような輝きと、少しばかりの埃っぽさを持っている朝倉摂の美術は、まさに僕たち観客の心象風景そのものでした。
さらには、幕開きと15年前の回想シーンで流れていた洋楽がノスタルジック。
曲名こそ知りませんが、遠く遠く離れてしまった青春時代を懐古する雰囲気が痛いくらいに沁みてくる舞台でした。
(ちなみにご存じの方がいたらメールなどで情報をお待ちしています)