原作:篠田達明 『法王庁の避妊法』
脚本:飯島早苗・鈴木裕美
演出:鈴木裕美
上演:ホリプロ製作 (初演:自転車キンクリート/1994年)
@世田谷パブリックシアター (2003年12月)
出演:
勝村政信・稲森いずみ・横堀悦夫・三上市朗・西尾まり・持田真樹・西牟田恵・桜井章喜
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大正時代の半ば。
新潟の病院に、荻野久作という男がいた。
彼は産婦人科医であるが、診察の合間をぬって女性の排卵が起こる時期について研究している。
当時はまだ排卵に周期があることは分かっていなかった。
明確な法則性を見つけられれば世界的な発見となるだけでなく、子どもに恵まれない女性を救えると考えていた。
あるとき、荻野のもとにひとりの女性が訪れる。
荻野の見合い相手のトメである。彼女に一目惚れする荻野。
荻野は頼み込む。
結婚して、自分の研究の実験台になってほしい。月経の記録をつけ、性交を行った日には印をつけるようにと。
子だからに恵まれすぎた患者・全く恵まれない患者・フェミニストの看護婦らが入り交じるうちに、命とは何か、女性とはなにかについて問われる荻野。
それらの葛藤の中で、荻野はついに、ある論文を発表するに至る。
その内容は、排卵は次月の生理予定日の約2週間に起こるというものだった。
ローマ法王庁が唯一認めた避妊法である、オギノ式避妊法の発見までの過程を描く。
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生まれてきていい人間と、そうでない人間がいるのか。
命とは与えられるものなのか、それとも人間の手が介入すべきものなのか。
荻野久作は、そのジレンマに悩まされていました。
西尾まり演じるフェミニストの看護婦に言い放たれてしまいます。
「先生の研究は、女性の権利を踏みにじっている」と。
現在でも、そのような問題は決して影を薄くすることなく社会に潜んでいます。
有名なものとしては、アメリカで妊娠中絶にともなう胎児の権利が声高に叫ばれていることが挙げられます。
この戯曲で取り扱っているオギノ式避妊法は、胎児の権利とは直接的に関係のあるものではありませんが、それまで人間にとって不可侵のものであった「命」という問題を手の内に収めることができることには変わりありません。
「神だのみ」「コウノトリ待ち」であった「誕生」というものが、人間の手によって操作できるのです。
荻野久作が看護婦に突きつけられた現実というものはまさにそれでした。
彼女は、生まれてきたことを望まれなかった過去があったのです。
したがってこの研究が、誰もが大手を振って喜ぶべきものではないのは自明の理です。
しかしそれでも荻野久作が自らの信念を曲げずに研究を続けたのは、ふたりの女性の存在です。
西牟田恵の演じる「子宝に恵まれすぎる女性」と、持田真樹の演じる「子宝に恵まれないためにいびられている女性」という全く対照的な存在。
結果として西牟田恵の演じる農婦は難産ゆえに亡くなってしまうのですが、その場に立ち会った荻野は「すべての女性が幸せになるために」という信念のもとに、ますます研究に没頭するのです。
しかし「女性の幸せ」という言葉の裏には、さきほど看護婦が言及したような「命の操作」という側面も持ち合わせています。
そのジレンマに悩まされる荻野を支えてくれたのが、妻であるトメと、献身的な助手の存在でした。
この舞台を見て勝村政信を知りましたが、その巧みさに驚きました。
体中からほとばしる「静かな熱気」にすっかり魅了されました。
真面目で、自分自身の研究を本当に愛している人物を、とても丁寧にかつ勢いよく演じています。
人間とは何か、命とは何かというテーマはとても深刻です。
しかしそれを声高に叫んだり深刻に演じるのではなく、人情や優しさをもって心温まる気分にさせてくれた飯島早苗の戯曲と、鈴木裕美の演出は素晴らしいものでした。
特に鈴木裕美の演出には丁寧さがあります。
一見するとスタンダードな演出ですが、様々な個性をうまくまとめあげ、丁寧に調整をしています。
この「命」めぐる温かい物語は、自転車キンクリートの財産であるばかりか日本演劇界の財産のひとつかもしれません。